お久しぶりです。
3月11日以来このかた、関東地方にお住まいのかたは、節電の日々を過ごしていることと思います。
夜、店の看板は点灯せず、店内も暗め。ネオンも自動販売機も光っていません。
家の近くにある小さな医院も、看板と駐車場の電気を消しており、ほかに大した店などもないので、近所は民家の明かりのみが点いているという暗さです。
とくに問題はありません。困るといえば無灯火自転車には困りますが、その程度のこと。
過剰な点灯、看板、空調設備、あるいは車、陰気な灰色の舗装道路。いろいろな科学的なものを、日々の生活のなかで鬱陶しいと感じることが多々ありました。
それは、しかし、先人が知恵をしぼり、努力を重ねてつかみ取ってきた便利さや道具なのだから、わたしごときが要らないと断じるものではないということも、承知しているつもりです。
恩恵に浴すこともあるのですから、手放してみたところで衣食住における苦労は計り知れません。
けれど、それでも時折、帰りたい、と思うことがあるのです。
夜が、あたりまえのように暗かったころ。
道が、夏にはほこりが舞い、雨が降ればぬかるみ、泥をはね、けれど瑞々しく懐かしい薫りを放っていたころ。
身のまわりのものを、身のまわりにあるもので作ることにより、日々の暮らしを支えていたころ。
人がまだ、誰に紛呶されるでもなく、自分の内から湧く心のまま、あらゆる命とのつながりに思いを至すことができたころ。
そういうころに。
震災により、大切な家族を失ったわけでもない、財産や仕事を失ったわけでもない、停電も経験していない人間。
社会のあらゆるしくみがすでにあり、便利な物に満たされた時代の人間。
だからこそ、ふと考えるのであろう、ささいな戯れ言ですが……。
電気はもとより、それ以外でも、失った不便さを再び手にすることに慣れていこうと思うのです。